流れ、流され…行き着いて思う事
幸せのたねayaです。
10月に入ってだいぶん過ごしやすくなりました。
ここ数ヶ月の自分の変化に自分でも驚いていて
ブログを書くにしても何かで発信するにしても
収集がつかずどうしていいか分かりませんでした。
今ようやく落ち着いてプカプカと大きな海の真ん中に漂っているようなとても穏やかでとても軽やかな状態にいます。
いやいや…
でも最初はかなり焦りました💦
今までとても力を注いできた事や、楽しいと思っていた事に対して申し訳ないほど興味がなくなってしまった自分がいました。
急激な心境の変化にどうしていいか分からなくなり、焦ったりもがいたりすればするほど体が重くなり深く暗い闇に潜り込んでいく感覚に陥りました。
冷静になって考えてみたら夢中になって楽しいと思ってやっていた事でもあまりにも自分の意識がそちらに傾き過ぎて時間を使いすぎていた事とバランスが崩れていた事に気づきました。
ある事を機にここでちょっと一呼吸おいてみようと思い両手を広げて大空に解き放つイメージで手放してみました。
すると、何という事でしょう!!
これがとても心地よかったのです。
手放したと同時に自分が今やりたい事の情報が次々に入ってきて急に世界が変わりはじめました。
「流す」や「流れる」というメッセージがやたら入ってきていましたがこういう事だったのかと思いました。
何か物事を始めたからと言って執拗に固執しなくていいんだ、心を通わせた人や物事であっても自分の気持ちを置き去りにしてまで気持ちを寄せなくてもいいんだと思えたとたん、体がとても軽くなりました。
そしてそれは自分が勝手につくりだした勝手な思い込みだったのだと気づきました。
流れも激流だったり、渦を巻いたり、せせらぎのようにゆっくりだったりいろいろあるけど、今回はまぁまぁ激流でした。
流れがあまりにも早くてついていけず溺れかけてしまいました。
ですが逆らわず身を任せて流れてしまったおかげで自分自身がキラキラ輝きだすのが分かりました。
ずっとそこに留まって淀んでしまった水よりも、流れ続ける水がはるかに綺麗なように…
その流れに、過去の栄光や未来への期待さえも全部乗せてきれいに流してしまえば私たちはいつでも真っさらな今を純粋に生きる事ができます。
そして、流れついた大海で誰にも邪魔されず悠々と自在に泳ぐ事ができる。
泳ぎ疲れたらプカプカと浮いていればいいわけで…
その状態は何かをやっていてもやっていなくても誰が何と言おうと自分は自分であるという確信と幸福感を感じられるベストな状態だと思います。
今の私はその状態に近いかもしれません。
今いる自分の世界は紛れもなく自分が作っています。
自分が見たい景色をそのまま見ている。
そう…たとえ見たくない景色のようであっても
根本を辿れば自分が見たくてそうしているのです。
だからこそ一瞬一瞬湧き上がる感情を決して無視せず一旦受け止め、ちゃんと感じ、そして流す作業をしていく。
そうする事で自分に起こった事を人のせいにせず、自立する事ができるのだと思います。
自分がどうなるのかを見届けるのは自分なのです。
見届けられた先に湧き上がる幸福感。
そしてその幸せのエネルギーを縁ある人達に伝えていく。
究極、この世を救うにはそれしかないのだと、
流れ流され行き着いた今そう感じています。
そして人生とは浄化と再生を繰り返し魂を磨いていく事なのかもしれないとプカプカしながらこうしてブログに書き留めています。
ありがとうございます😊