「六根清浄」という言葉
幸せのたね ayaです!
先日、なるほどなぁと思う言葉を教えていただいたのでここにも書き記しておこうと思います。
それは【六根清浄】という言葉。
(仏教の言葉らしいです。)
六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。
六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である
眼根(視覚)
耳根(聴覚)
鼻根(嗅覚)
舌根(味覚)
身根(触覚)
意根(意識)
のことである。
( Wikipediaより引用しました。)
もう少し詳しく読んでいくと
六根は人間の認識の根幹であるとのこと。
それが我欲などの執着にまみれていては、
正しい道を往くことができない。
そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。
そのため不浄なものを見ない、
聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。「六根浄」ともいう。
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なるほど……
でも不浄なものの定義が人それぞれだし、
それを体にいれないために山ごもりするなど、ふつうに生活している私には非日常的😓…
ですがよくよく考え自分の生活に置き換えるとテレビやSNSなどの溢れかえる情報の中に、自分が見て聞いて不愉快だと感じたり違和感を感じるものとか、
人工的で合成された匂い(例えば強すぎる香りの柔軟剤とか…)その他、好まない食べ物、着ていて心地よくない服…など
そういうのだったら意識的に避けることが
できるなぁと思いました。
そして不浄なものを避ける実践が6番目の「意識」と繋がってくるのかもしれないと自分なりに解釈しました。
ならばまずは、自分が何を見て聞いて
心地よくないと感じるのか、どんな事に
拒否反応を起こすのか知る事が大事です。
例えば常に流れてくる情報にいちいち
反応して、あの有名な人はこうしていたとか
あの人が言っていたからあれがいいよとか…
巷で人気のスピリチュアルスポット?に行きまくってみたりとか…😓
側から見ても何をやってる人かわからない…
もしそんな人がいるとするならばその人は
きっと自分自身をあまりよく分かっていない
のだと思います。
もし、そうなら一旦いらない情報の源から離れて静かな場所に身を置いてみるのも手かと。
スマホを持たない手が、代わりに何に触れたら
気持ちが落ち着くのかを知る旅にでる…
そんな時間が必要なのかも知れません。
かくいう私はたまたま触れた情報や人のつぶやきや匂いや感触に自分の事のように悲しくなったり、苦しくなったり、怒りを覚えたりしてしまいます。
そんな時は「これは自分の事ではない」と強い気持ちではねのけていつまでも引きずらないようにしています。
そうしないと心と体の健康を保てないから。
それは決して人の気持ちに寄り添わない冷たい人という事ではなく、自分自身に清く正しくある事だと思うのです。
五感そして六感は紛れもなく自分を作っている大切な感覚。
自分を知り、芯(真)を持つことが今を生きることやこれからやろうと思っていること全てに繋がっていく基本中の基本だと思いました。
調べていくと「六根清浄の大祓」という祝詞もあるようで…
仏様の世界だけでなく神様の世界にも通ずるこの言葉をありがたく受け取り自分なりに考えてみた夏の一日でした。
ありがとうございます😊